怪飛行船(幽霊飛行船)の系譜
1800年代後半から1900年代始めにかけて、アメリカ全土で「ゴースト・エアシップ」(「ファントム・エアシップ」あるいは「ミステリー・エアシップ」)と呼ばれる謎の飛行物体が目撃された。
しばらく後に現れる「飛行船」に少し似ているものの、どこか怪しい、まともに考えて飛行できるはずのない「機械」だったとも言われている。
そしてその後の「UFO研究家」の人たちによれば「葉巻型円盤」に近いとも解釈されている。
すでにヨーロッパでは飛行船は実験段階にあり、絵はがきや博覧会などでアメリカ人が知り得る機会も多くあった。
しかしこの当時、長距離飛行可能な飛行船はアメリカには存在していなかったと考えられている。
この手のメカはあまり関心の無い人が見ると、とんでもない復元図を描きそうなものだし、興味のある人でも初めて見た機械の細部をどれだけ憶えているか疑問である。
さらに人を喜ばせようと色々考える人もいそうなものだし、うわさ話には色々尾鰭が付く物である。
当時の悪戯好きの鉄道電信技師達が、今で言うところのインターネット中毒者のごとく「もっともらしい作り話」を広めていたという話もあれば、新聞各紙も当時は読者サービスの怪しげな話をとりあげていたというレポートもある。
そしてこの頃、怪しげな飛行船の登場する読み物(フランク・リード・ライブラリー等)も、人々に読まれていた。
この事件の10年ほど前にジュール・ベルヌが「征服者ロビュール」(「空飛ぶ戦艦」等の和訳タイトルもあり)を発表してる。
この中に登場する「アルバトロス号」こそが、空中からサーチライトを照射するイメージを作ったのではないかとも言われている。
目撃が春と秋に集中しているが、これは渡り鳥の移動の季節だし、明るい光は金星ではないかとの話もある。
とはいうものの、この「伝説」、私は大好きなのだ。
自分の知らない世界から、自分の知らない技術を持った、自分の知らない人たちが、自分の知らない乗り物に乗ってやってくるというのは、「未確認飛行物体との遭遇」の原風景といえるのではないだろうか?
(年表の引用元は阿修羅等、ほとんど忘れてしまいました)

飛行船自体は、下記のジェームズ・フートンの目撃したのと同型と思われる。
しかしこの頃から牛をさらっていたとは・・・

大きなプロペラとサーチライト。
この頃の怪飛行船目撃にはこういう例が多い。
これはサクラメントでの目撃らしい。

1890年頃にはすでに目撃があったようだ。
このイラスト自体のデザインも面白い。

その後の飛行船にとてもよく似ている。
これが葉巻型円盤だったのだろうか?

プロペラのついた飛行船に手を振る人。
一体どのようなシチュエーションなのか?

1908年フランスで目撃された「飛行船」の内部図解らしい。
この年ロシアで「ツングースカの爆発事件」が起こっている。
「飛行船」との関連は?

現在の目撃は円盤形が一般的だが、葉巻型のラインを残したものも見られる。
それは進化なのだろうか?

1957年11月4日
56歳のドイツ系アメリカ人穀物バイヤー、ラインホルト・O・シュミットがネブラスカ州カーニーで4人の男性と2人の女性の乗った「飛行物体」に車ごとさらわれる。
大統領に会わせるよう要求されたという。
男達は茶色及び青のスーツに茶色い靴、つばの狭い帽子、長いネクタイを着用。
女達は白のブラウスに茶色のスカート、髪は茶色でペンダントと銀のネックレスをしていた。
話していた言語は英語及びドイツ語だった。
飛行物体は海軍の小型飛行船のような形で、二つのファンがついていた。
また同じ頃近所を走っていた農家のトラックのエンジンが停止する事件が起こっている。
1950年代後半に至って尚、「怪しげな飛行船」の目撃例は存在する。
すでに時代は「未来的ファッションに身をつつみ、理解できない言語を話す」宇宙人の時代だったのだが・・
幽霊飛行船関連年表
1783年
フランスのモンゴルフェ兄弟の熱気球、シャルルとロベールの水素気球がともに成功を収める。
イギリスのマーチンらが同じ頃風を受けて進む「帆走飛行船」のアイディアを出している。
ポアゾン考案の「魚型飛行船」も発表される。
ブリキで作られる予定で、多くつけられた「ひれ」を人間が動かすアイディア。
怪しげな計画は後も多数存在。
(天沼春樹著「夢見る飛行船」より)
1784年
ロベール兄弟が推進器として2本のパラソルを備えた横長気球で飛行。
シャルトル公を同乗させていた。
また同じ頃アルバンとヴァレはシャルル10世の庇護のもと、へら状のオールを備えた気球を飛行させていた。
(天沼春樹著「夢見る飛行船」より)
1785年
フランス人ブランシャールがアメリカ人ジェフリーズとともにドーバー海峡を水素気球で横断成功。
この気球にはオールのようなものが付いていて、方向が(いくらか)変えられたという。
(学習研究社「交通機関の発達」より)
フランスでミュスニエ将軍が大型軟式飛行船の計画を王室に提出。
2枚の羽根を持つプロペラが3基あり、ガス圧調整の為の内袋まで備えていた。
残念なことに当時のルイ16世は、それどころではなかったようである。
(天沼春樹著「夢見る飛行船」より)
ちなみに同年、日本では岡山の表具師、浮田幸吉が滑空機の実験を行っている。
1818年
ポーリーとエッグがイギリス、ロンドンで「イルカ型飛行船」を発表。
1組のオールとバランスを取るための砂箱を装備していた。
当時は「クレージー・エッグ」などと言われたらしい。
(天沼春樹著「夢見る飛行船」より)
1834年
ルノー伯爵がフランスのパリ、シャン=ド=マルスで飛行船「鷲号」を計画。
全長42メートル、直径12メートル、理論上搭乗できる乗客12名。
へら状の大型オールで推進する予定だった。
輸送途中でエンベロープをつなぎ止める綱が切れて計画は中止に。
後の風評では「大法螺だ」「詐欺だ」。
ちょっとかわいそうだ。
(天沼春樹著「夢見る飛行船」より)
1847年
ドイツのジーメンスが蒸気羽ばたき機を考案
1850年
フランスのエルンスト・ペタンが、プロペラをタービンあるいは人力で駆動して飛行する「飛行船」を発表。
複雑(怪奇?)な動力装置と手すりをつけたゴンドラを備えていた。
地上に据えられ「見せ物」となっていたようである。
アメリカではペニントンが飛行船プロジェクトを発表。
「スチームシップ・エアリアル社の支援がついている」との事。
この会社の宣伝パンフレットには「1万ドルで、全長70メートルの飛行船建造の準備がある」とうたってあった。
また同じ時期にサンフランシスコの出版関係者マリオットが、エアリアル・スチーム・ナビゲーション社を設立。
ずんぐりした蛾のような翼付きの、グライダー型飛行船を考案した。
(天沼春樹著「夢見る飛行船」より)
1852年9月
フランスのアンリ・ジファールが蒸気飛行船による有人初飛行に成功。
(天沼春樹「夢見る飛行船」、学習研究社「交通機関の発達」より)
1872年
ドイツ人ヘンラインがルノアール式ガスエンジン(3.6馬力)で、2枚羽根のプロペラを駆動する飛行船の実験をオーストリアで行う。
ある程度評価できる結果が得られたという。
(天沼春樹「夢見る飛行船」、学習研究社「交通機関の発達」より)
1875年
このころからドイツのツェッペリン、飛行船に関するアイディアを温めていたようである。
(天沼春樹著「夢見る飛行船」より)
1881年
ティサンディエ兄弟が電気モーターを動力に使用した飛行船の実験を開始。
1883年には全長28mの試作機を完成させ25kmの距離を飛行。
1884年
フランスのルナールとクレーブスが電気モーターによる飛行船の実験。
「ラ・フランス」号と名付けられた飛行船は、8.5馬力のモーターで時速22kmで飛行、わずか8kmとはいえ往復飛行に成功。
当時まだ陸軍将校だったツェッペリンは、敵国に先を越されて大いに焦ったと伝えられる。
(天沼春樹「夢見る飛行船」より)
1884年6月
「ネブラスカ・ナゲット」
同州南部、ダンディ郡の荒野で牛をかり集めていたカウボーイの一団が、ブンブンと言う音に驚いて見上げると、物体が燃えながら近くの地面に落下していくのを目撃。
破片の周りの草は焼けこげ、歯車のような機械部品、幅16インチ厚さ3インチの真鍮のプロペラ等が散らばっていた。
「物体」は驚くほど軽量で頑丈な金属で出来た、長さ50フィート以上ある円筒形の乗り物と判明した。
目撃者の一人、アルフ・ウィリアムソンは顔中に火膨れができ、髪の毛がチリチリにこげて、地面に倒れ込んでしまったという。
また別の新聞ではウィリアムソンは失明してしまったと報じていた。
(マイクダッシュ著「ボーダーランド」南山宏訳より この事件はでっちあげの草分けとされている)
1886年
ジュール・ヴェルヌが小説「征服者ロビュール」発表。
飛行船「アルバトロス」が活躍(?)する。
フィラデルフィアの気球愛好家、空からのトランペットの音、奇妙な飛行物体の目撃等、「謎の飛行船」事件を知る上でのヒントが隠されているようだ。
未読。
1887年
ドイツ
ツェッペリン、ヴュルテンベルク国王に自分の計画の包括的レポートを提出。
飛行船開発が急務であることを説いていたが、当時の気球パイロットや工業技術界の委員会の反応は冷淡だった。
1888年8月12日
ドイツ
ガソリンエンジンで飛行するバウムガルデンとヴェルフェルトの飛行船が、ダイムラー社の敷地から4キロの飛行に成功。
1896年には2気筒6馬力の飛行船でベルリンの上空を飛行。
1890年3月頃
この頃アメリカのニューメキシコ他で「謎の気球」目撃。
東洋(中国)から飛んでくるとの憶測も流れたらしい。
1892年
ハンガリー生まれの東欧系ユダヤ人、ダーヴィット・シュバルツがドイツのアルミニウム工場カール・ベルク社を訪ね、アルミニウム製硬式飛行船建造計画の契約を結ぶ。
その後の実質的工程はカール・ベルク社にまかせきりだったらしい。
1897年に飛行船は完成するが、その頃シュバルツも心臓麻痺で死去。
アルミニウム骨格にアルミ板を貼り付けた全金属製。
ダイムラーエンジンで4つのプロペラを駆動する方式だったが、試験飛行で不時着、大破する。
(天沼春樹著「夢見る飛行船」より)
1894年1月1日
サンフランシスコのゴールデンゲートパークで冬季国際博覧会が開催される(同年6月末まで)。
「エレクトリックタワー」「エレクトリックシアター」といったものから農業、園芸関係まで幅広い展示が行われる。
当時の「アコーディオン式」の小冊子(メイン州ポートランドの「レイトン&フロイ・スーベニール・ビュー社発行)にある石版画によると、(おそらく)飛行可能ではないものの、葉巻型の本体、回転翼(のようなもの)、ワイヤーで結ばれた2つの操縦用ゴンドラ、アンカーを持つ「飛行船」の展示もされたようだ。
1896年10月
ドイツ技術者協会はようやくツェッペリンの飛行船計画を「実現可能」と認定。
初飛行は1900年まで待たなければならなかった。
(天沼春樹著「夢見る飛行船」より)
1896年11月初め
弁護士ジョージ・D・コリンズの法律事務所に、40代後半の発明家を名乗る紳士が現れる。
圧縮空気を動力とする新式飛行船の特許を取りたいので、コリンズに代理人となって協力してほしいと述べ、詳細な青写真を見せて、技術的な説明を行う。
青写真には、翼のある一種の飛行機械が描かれており、材質はアルミニウムであった。
2週間後、法律顧問ウイリアム・ヘンリー・ハートの所にも同一人物と思われる黒い肌、黒い目、身長およそ170cm、体重60kgぐらい。年齢は40代後半の自称発明家の人物が飛行船の青写真を見せている。
この発明家は、ハートに彼の飛行機械を用いてキューバに飛んで行き、キューバ人の解放戦争を助け、スペイン人を追放するのに使うことに興味を持っている、と語ったという。
“発明者”はハートに、この“飛行船”はガスと電気で動く、と述べたとされている。
1896年11月17日
カルフォルニア州サクラメント
夜空を飛ぶ電気アークランプとその後ろにぼんやりと見える黒い巨大な物体が数百人の人により目撃された。
目撃者の中には、物体から音楽が聞こえたとか、「明日の昼までに、サンフランシスコに着かねばならない。」という声を聞いたという者もいる。
1896年11月22日
カリフォルニア州オークランド
夜、終着駅に向けて走行中の市電の運転士と11人の乗客が、目も眩むほど白く輝く飛行物体を目撃。
物体は卵型で長さ約150フィート、4枚の回転翼を持ち、旋回しながら時速20マイルほどの速さでゆっくりと飛んでいた。
物体にはロバート・フルトンの蒸気船に似た外輪が付いていたとの話もある。
また同じ頃サンフランシスコの上空でも同じような物体が目撃される。
長さ50mほど、船体は卵型で横腹に大きな羽根車がついており、下部にゴンドラらしいものがある。
この“飛行船”は、強力な投光器で地上を照射した。
1896年12月1日付
イブニングテレグラム紙
デイリーマーキュリー紙
カリフォルニア州サンノゼ(サンホセ)
電気工ヘロン(John Holen)は故障した機体修理を依頼され、お礼として「飛行船」に同乗しハワイ旅行に連れていってもらったという。
当時、ハワイ旅行はまだまだ高価で夢の夢だった。
(
1897年3月下旬
アイオワ州スー市近く
目撃者:農業を営むロバート・ヒバード
飛行船の後尾についている引き網からぶらさがっている"イカリ"が彼のズボンのたるんだ部分をひっかけて数10フィート引きずったが、ついに、ズボンが裂けて助かったという。
1897年4月1日、午後8時15分頃
カンザス州、カンザスシティ
数千の人々が、夜空を飛ぶ不思議な光体を目撃。
それは、様々な高度をとり、地面近く下降したかと思うと、急激に飛びあがったりした。
光体は街燈ぐらいの大きさで、サーチライトに似た光の筋を放っていた。
光は初め白かったが次第に明るい赤に変わった。
針路は北西に向かっていたが、数度後退して、しばらく逆の方向に進んだ。
運動は規則的であり流星の運動とは違う。
北方の地平線の彼方へ消えて行くのを見たという人もいた。
同日、午後9時半すぎ
カンザス州エバレスト
低い雲に沿って5分間ほど飛ぶ、飛行物体を市民達が目撃。
物体内部から放たれる強力な光線が雲に反射されたため、飛行船の形をした輪郭がはっきり見えた。
ゴンドラは、約10mの長さでインデアンのカヌーに似ていた。4枚の軽快な翼が船から突き出ていて、2枚の翼は三角形で、ゴンドラのすぐ上に大きな黒い船体があった。
これは膨脹したガス袋であろう。
また、飛行船が上昇する時は光が弱くなり、下降の時は強くなったので、光を放つのと同じ力が、船体の浮揚にも用いられていると推測される。
同日夜
カンザス州レプソワース砲台の衛兵が「飛行船」を目撃。
すでに同砲台の技師に飛行船からの爆撃が懸念されている。
同日夜
ミシガン州ゲールズバーグ村の上空
強い光がぽんやりした船体の輪郭をあらわしていた。
しかも船体からモーターの音らしい奇妙なパチパチいう音と、はっきりした人間の声とが聞こえてきた。
同日
カンザス州アレグザンダー・ハミルトンの所有の農場の上空
ロープを下ろし、若い雌牛を一頭、空中にさらう「飛行船」が目撃される。
「飛行船」には6体の小柄な生き物が「乗船」していた。
雌牛は翌日バラバラな姿で発見された。
(この事件は現在ではでっちあげ、あるいはエイプリルフールの類とされている)
「マイクダッシュ著『ボーダーランド』南山宏訳によると、この話は「ファーマーズ・アヴァケート」紙の投書からで、後の調査でハミルトン自身が「うそつきクラブ」の余興として自らでっちあげたと告白している。
1897年4月2日
イリノイ州ロジャーズ・パーク
ウォルター・マッキャン、“謎の飛行船”の写真を撮影。
当時の〈ニューヨーク・ヘラルド〉紙や〈シカゴ・トリビューン〉紙はこの写真を「間違いなく本物で、インチキではない」と断言した。
1897年4月5日
ネブラスカ州オマハ
数百の住民が約1000mの高度を飛ぶ1個の葉巻型物体を目撃した。
約5分間滞空していたが、風に逆らって高速飛行を続け、北の空に消えていった。
1897年4月9日の夜
オクラホマ州ノーマンで、州立銀行現金係次長T・J・ウイギンズは“端から強力な光を放ち、両横腹には赤い閃光がきらめいている黒く長い物体”を目撃した。
2日後には、400名の人々が、これと同じ物体を目撃している。
同日夜
イリノイ州エバンストン付近の湖の上空低く
強く光る物体が出現し、西方へと奇妙な飛び方をした。
ナイルズ・センターとシャーマービルでも目撃されたが、距離は極めて遠かった。
同日、午後8時40分
イリノイ州キャロル山上空
大きな長円形の物体が通過し、西方に向きを転じて、物凄い速度で飛び去った。
長さ3m、高さ1mぐらいで、赤い光を放っていた。
1897年4月9日頃
ウィスコンシン州で農民が「飛行船パイロット」から手紙を受け取る。
テネシーの歴史についてそこには書かれていたという。
ミシガン州、テキサス州でも同じ様な手紙が見つかっているという。
又イリノイ州アストリアでは、「飛行船パイロット」によりトーマス・エジソンに向けて書かれた「コード化されたレポート」も見つかっている。
偉大な発明王は「フェイクだ」と言ったらしい。
1897年4月10日夜
アイオワ州ニュートン
午後8時に2000人の市民が飛行船を目撃。
40分間市の南西部上空に停止していたという。
その後北西に向かったが、光のついたパラシュートの如き物を落とした。
1897年4月12日
イリノイ州グリーンリッジから北3キロ、ジラードから南4キロの地点で鉱夫による集団目撃。
「未確認物体」は着陸態勢に入っていたという。
接近して目撃したシカゴ&アルトン鉄道の夜間オペレータ、ポール・マクレマーは、中から「人」が降りてきて修理する様子を見たと証言。
着陸跡はかなり広範囲に渡っていたという。
物体は大型船のように大きく、屋根と二重のキャノピーを備えており、その後北へ飛び去ったという。
1897年4月14日
インディアナ州ガスシティーより南に2キロ、ジョン・ロッシュの土地で、農民や牛、馬が大騒ぎ。
「飛行船」が着陸し、搭乗者6名が現れて「修理」する様子が目撃される。
目撃者達は「飛行船」にさらに近づこうとするが、その前にそれは急速上昇、東へと飛び去る。
同日
午前4時30分ミシガン州ハワードシティ付近の野原に奇妙な飛行物体が着陸。
背丈が9フィート半ある「巨人」が現れる。
彼に近づいた農夫が腰の骨を折り、長期の入院が必要となった。
その吼える声は音楽的だったという。
4月16日付け 「クーリエ・ヘラルド」誌
(ジョン・A・キール著「不思議現象ファイル」南山宏訳より)
1897年4月15日
ミシガン州カラマズー近郊
「飛行船」の衝突、爆発と思われる事件が起きたらしい。
大砲の様な音が空に轟いたという。
1897年4月15日
イリノイ州スプリングフィールド
農場労働者アドルフ・リンクルとジョン・ハルは農場の敷地内に奇妙な物体があるのを発見。
二人は乗組員である男二人、女一人とディスカッションを行う。
「クインシーからスプリングフィールドまで30分で飛行する能力を持っている」と説明を受ける。
乗組員達は「電気系の修理」を行っていたという。
1897年4月15日夜
サウスダコタ州ハワードからアーティージャンまで走る列車を、1隻の飛行船が追いかけて来た。
車掌のジョー・ライトは、マディスンの『センティネル』紙の記者に「問題の飛行船は、日没直後に現われて、次第に地面に近づきながら飛び、やがて視界から消え、着陸したらしい」と語った。
1897年4月16日付
ミシガン州サギノーの『コーリア・ヘラルド』紙
アイオワ州リングローブで前日発生した目撃事件を報道した。
「昨日の朝、空中を北に向かってゆっくり進む物体が、着陸態勢に入っていくのが目撃された。
貸馬屋のジェームズ・エバンズ、馬具屋のF・G・エリス、株式仲買人のベン・バランド、デビッド・エブンス、それにジョー・クロスキーらが、馬車で追跡を開始した。
町から6km北で着陸している飛行船を発見したが、700mに迫った時、巨大な翼を広げて北方に飛び去った。
飛ぶ前に2つの大きな石を投げ出していったので、彼らは持ち帰ってきた。
現在その石は展示中であるが、石の成分はわかっていない。
この飛行船には妙な格好をした人間が2人乗っていた。
エバンズとクロスキーによると、これまで一度も見たことのないほど長い頬髯を生やしていたという。
リングローブの殆どすべての市民が、町の上空を航行していたその飛行船を目撃しており、大変な興奮状態にある」
1897年4月16日
ミズーリ州スプリングフィールド
W.H.ホプキンズという目撃者が町の東側にある小山に散歩に出かけたとき、開けた草地に着陸した「飛行船」を目撃。
腰まで髪を伸ばした絶世の美女が裸のまま地面に腰を下ろし、花を摘んだり顔を仰いだりしていた。
その近くにはほとんど裸だがヒゲをぼうぼうに伸ばした男が、乗り物の日陰に寝そべっていた。
ホプキンズが近づいていくと、二人ともずいぶん不安そうに、身振りや理解できない言語で話し合った。
手話で意志の疎通を図り、どこから来たかをたずねると、彼らは上を指さした。
ホプキンズは火星を意味すると思った。
(マイクダッシュ「ボーダーランド」南山宏訳より)
1897年4月16日夜
テキサス州の6つの都市で、メキシコ葉巻に似た形の飛行物体が目撃された。
2つの大きなサーチライトの光によって照らし出された物体は、真ん中が太く、両端が細くなっていて、巨大な蝶のような翼を持っていたが、風のような速さで南東に向かって航行したという。
その光景は壮大なものだった。
「ニューヨーク・サン」誌
1897年4月17日
ミシガン州パインレイク
ウイリアムという男が強烈な光を発する飛行物体に遭遇。
鳩のような大きな帆を持っていたという。
飛行中にハンターの撃った弾が機体にあたった「飛行船」の修理・・ではなく、4ダースの卵サンドイッチとコーヒーが1びんを要求される。
シャベルのような物が降りてきて食べ物を持ち上げ、かわりにコインが落ちてくる。
(濱田政彦著「彼らはあまりにも知りすぎた」では1896年4月の事件となっている)
1897年4月17日(22日?)
テキサス州オーロラ。
丘の上のプロクター判事の風車小屋に激突し、大爆発を起こした。
現場に居合わせた米軍将校は、搭乗者の小柄な死体を見て「火星人だと」断定した。
乗員の遺体はキリスト教の儀式に則り墓地に埋葬された。
この事件は1967年、ドナルド・ハンロンとジャック・ヴァレーによって論文が発表されたことでアメリカでは一大ブームとなったようだ。
「未知の象形文字による旅行記録」「アルミニウムと銀の混合物で作られていた」等、この手の話に付く「尾鰭」も十分。「町の鍛冶屋」の名前が「米国信号局の警官」にされるなど元の話もすごいのだが、1973年にさらに尾鰭が付いた。墜落の様子や、残骸や遺体を見て涙した、現場に行くのを親に許してもらえなかったという「目撃者」の証言、「未知の金属破片を発見」「葉巻型円盤の印のついた墓石を発見」など数々の情報がもたらされたが、証拠は何一つ無かった。
(現在この事件はでっちあげとされている)
「マイクダッシュ著『ボーダーランド』南山宏訳」の中で、「ダラス・モーニング・ニューズ」紙が4月1日に伝えた事件とし、その後地元のS.E.ヘイドンなる電信技師が、鉄道が通らない町に観光客を呼ぶために仕組んだとしている。
1897年4月19日早朝
ウエストバージニア州シスタービル
市民たちは、異様な光景を目撃して驚いた。
魚雷のような形をした物体が上空を飛んでおり、目の眩むようなサーチライトの光りを何本も下に向け、町外れの田園地帯を照らしまわっていた。
この飛行物体は、長さ約70m、直径約10mで、両腹に短い翼と赤と緑の燈火が見られた。
ほぼ10分間町の上を旋回した後、東方に向かって突進し、見えなくなった。
なおこの飛行物体と全く同一と見られる葉巻型の機械が、これより先、4月9日から16日にかけて約1週間、中西部のセントルイス以北、コロラド以東の各地で、高高度を飛んでいるのが目撃されている。
望遠鏡で観察した何人かの天文学者によれば、やはり両側に、短い翼が突き出ているのが認められたという。
「強力な双眼鏡で調べたところ、両側に大きなヒレのついた180フィ−トの長さの巨大な円スイ形の物体であるという印象を受けた」
また目撃者たちは、赤、緑、白などの閃光を繰り返し発するのは、乗組員が地上に対して信号を送っているせいだと解釈している。
1897年4月22日、午後11時頃
テキサス州ロックランド
牧場経営者ジョン・M・バークレイは、長円形の飛行機械の中から出てきた1人の男と話をした。
彼が激しく吠える犬に起こされて戸外を見ると、翼のある物体が地上15フィートの空中に静かに浮かんでいた。
電燈よりはるかに明るいライトで辺りを照らしている。
物体は数回旋回した後、牧場近くに着陸した。
ライフルをつかんで調べに行くと、“船”から30mのところで、普通の人間と出くわし、突きつけた銃を引っ込めるよう頼まれた。
「あなたは、どなたですか」
「名乗るほどのものではありませんが、スミスとお呼び下されば結構です」
と男は答えて、次のようにいった。
「潤滑油と、もし手に入れば2個の鉄たがね、それに硫酸銅が少し欲しいのです。前の2つは製材工場にあるはずだし、硫酸銅は電信技師が持っています。ここに10ドル札がありますので品物を手に入れて戴けませんか。お釣は駄賃にして下さい」
「あなたは何に乗って来たのですか。私を連れていって見せて下さい」
「だめです。これ以上近づいてはいけません。でも、私たちが要求した通りにして下されば、いつか私たちの方からあなたに声をかけて、お返しに旅にお連れしましょう」
バークレイは油とたがねをみつけたが硫酸銅は手に入らなかった。
彼は戻ってきて品物を渡し10ドル札を返そうとしたが断られた。
“スミス”は握手して礼を述べ、飛行物体の方にはついて来ないでくれと頼んだ。
どこから来てどこへ行こうとしているのか尋ねたら、あるところからと答え、明後日には、私たちはギリシアにいるでしょう、といい残して物体の方に行った。
彼の表現によると“まるで弾丸のように”飛び去ってしまったという。
1897年4月22日付け
『アーカンソー・ガゼット』紙
アイアン・マウンテン鉄道の経営者、ジェームズ・フートンの目撃報告を“問題の飛行船を見た”という見出しで、掲載。
“今までに報道されてきたものの中で、最も信憑性のある報告”というサブ・タイトルをつけ、太鼓判を押した上で次の談話を載せている。
「臨時列車の回送のため、テクサーケアナに行った時のことでした。現地で8〜10時間ほど体があいたので、アーカンソー州ホーマンまで狩猟に出ました。猟場に着いたのは、午後3時頃でした。獲物はかなりありました。
そうですねえ、6時を少し回った頃でした。駅に引き返そうと、ブッシュの中を歩いていると、商売柄聞きなれた音がしたんです。機関車の空気ポンプの作動音に似ているんですよ。
変だなと思った私は、音のする方にいってみると学校の運動場より広い空地に出たんです。そこで、音をたてている、モノを見つけました。
船内には中ぐらいの背たけの、黒メガネをかけた男が1人乗っており、船の後端と思われる辺りで、修理か調整か何かをやっていた。フートンは驚きの余り、声も出なかった。その男も彼の姿を見て驚き、
「今日は、だんな。今日は」
とあいさつした。そこでフートンは、
「これが、例の飛行船ですか?」
と尋ねた。
「さようでございます、だんな」
そのとき、船の竜骨と思われるところから、3〜4人の男たちが船外に出てきた。
よく眺めると、この竜骨は2つの部分に分かれていて、前方で1つになり、ナイフの鋭い刃のように尖っていた。
船の最先端もナイフの先のように尖っていたが、中ほどになるにつれて太く張り出し、船尾になるとまた細くなっている。
両舷には、何かの金属を曲げてある大きな羽根車が3個とりつけてあり、前進すると引っ込む仕掛けになっていた。
「失礼ですが、その音は、ウエスティングハウス社の空気ブレーキに、とてもよく似ていますね」
「そうかもしれません。私たちは圧縮空気と、飛行翼を使っています。詳しいことは、後に段々おわかりになると思います」
「船長。発進準備、よろしい!」
乗組員は、船の下部に入り込んだ。
フートンが見ている前で、羽根車の前にある、6cmの管が、それぞれの車に向けて、空気を噴射し始めた。
羽根車が回転し、シューッという音をたてながら、ゆっくりと空中に浮かんだ。
突然、飛行翼が前方にはねて、その鋭い先端を空に向けた。
それから船尾のカジのようなものが一方に回転し、羽根車は速くまわり出したので殆ど見えなくなった。
そして、あっという間に、視界から去っていってしまった。
「以上のような経過の結果として、見取り図を描きました。私の印象に残っている特徴のひとつは、機関車の排障器に似た先端の部分が、ナイフのように鋭くて、針のように尖っていたという点です」
フートンの目撃した飛行船と同じく横腹に羽根車のある飛行物体は、1896年末、弁護士コリンズのもとに飛行船の青写真が持ち込まれた直後、カリフォルニア州で、度々目撃された事実が記録されている。
更にフートンの記事と見取り図が掲載された日から12日後、見取り図そっくりの飛行船が、アーカンソー州で犯人を追跡中だった2人の警官に目撃されている。
1897年5月13日、アーカンソー州ヘレナの『ウィークリー・ワールド』誌にこの事件が記事にされており、5月8日に、公証人立ち合いのもとに、両名が署名宣誓した正式報告書が作られている。
フートンの目撃報告が掲載された次の日、アーカンソー州ハリスバーグ郊外に住む、前上院議員ハリス氏の報告が『モダン・ニューズ』紙に掲載された。
1897年4月21日、午前1時、不思議な音で目をさまし、外を見て驚いた。
自分の地所に有名な飛行船が降下していたのだ。
戸外に出てみると、乗組員が、せっせと新鮮な井戸水を補給していた。
2人の男と1人の女、そして腰の辺りまで届く黒い髯を生やし、輝く黒い目と彫りの深いきりっとした表情をした老紳士がいた。
ハリス氏が語ったところでは、この老紳士はのべつ喋りまくったらしい。
その中で26年前、ミズーリ州セントルイスの『リパブリック』紙に老紳士の叔父が科学的発明をした記事が載り、それによると重力の法則は、全面的かつ完全に克服されたとある。
叔父は、その発明をニューヨーク・シティの完全保管金庫に入れておいた。
各国から資本提供の申し出が多く、検討している間に病気で死んでしまった。
およそ19年後に、私はやっとのことで叔父の発明の資料を手に入れることができた。
最近になって殆ど完全な飛行船を造ることができたが、実験のため見つからないように夜間飛行を続けているのだ。
私は飛行船を公開する前に、火星を訪問するつもりでいる。
重量は私にとっては問題ではない。
細いワイヤーを物体に巻きつけることによって重力が棚上げされるのだ。
この船には、4tの改良ホッチス銃と10tの弾薬が積んである。
私はキューバに行ってスペイン軍を絶滅させる準備をしていたが、計画を変更してアルメニア人を救いにいこうと思っている。
この改良銃を使えば、ホッパーにカートリッジを差し込んでボタンを1つ押すだけで、1分間に6万3000発の弾丸が発射される。この4tの銃にワイヤーを巻きつければ、片手で持って狙いを定めることができる。距離も殆ど克服された。我々は、1時間前の12時10分にはダラスの郊外にいたのだよ。新しい推進器が完成したらもっと楽になるだろう。
と語った老紳士は、ハリス氏に飛行船に乗ってみないかと勧めたが、断った。
そして彼らは船に乗り、夜空の中に上昇していったという。
ハリス氏の所有地に“飛行船”が着陸した次の晩テキサス州、ジョサランド近郊の、有名な農場主、フランク・ニコルズ氏も、自分の井戸の水を“飛行船”乗組員たちから所望された。
ニコルズは、真夜中頃、機械の回転音で目がさめた。
トウモロコシ畑に奇妙な恰好をした重そうな飛行船が、着陸し、眩しい光が出ているのを見つけてびっくりした。
調べに出たが、それほど遠くまで行かぬうちに2人の男に出会った。
彼らが、井戸の水を汲ませてほしいと頼んだので承知した。
すると彼らは自分たちの船に彼を招いた。
船の中で6〜8人の人たちと話をした。
機械類の説明もあったが、充分理解することはできなかった。
「この種の船が、アイオワ州で五隻建造された」
「この発明はまもなく正式に発表されるだろう」
「現在、大きな株式会社がつくられつつあり、来年中には、この飛行機械は広く一般に使われるようになる」
と語った。
1897年4月23日
アーカンソー州テクサーカナ
判事ローレンス・A・バーン氏。
土地の面積調査を監督しに、マツキニー入江に降りて行こうとしていた時、妙な形の物体が地上に保留されているのを発見。
船の中には3人の男がいて外国語で話をしていた。
容貌から判断すると、「日本人」のようで、船の中を案内される。
「機械はアルミニウムで、船を上昇させるには、その怪物を上下させるポンプで、アルミニウムのタンクに充填し、降下するときは排出される」
と説明を受けるが、容積の変わらないアルミニウム製のタンクに、軽ガスを幾ら詰め込もうが、排出しようが、浮力には関係ないのである。
1897年4月24日付け
「ケンタッキー・ポスト」
「飛行船が金曜日午後8時に通過する様子が見られた見られたという多数の報告書が、土曜日にニューポートにおいて多く書かれている。西3番街のピリング夫人は、葉巻型の明るい光を発する「船」を目撃している。芸術家のL.Remmeさんとその妹でドイツ国立銀行のキャッシャーのEd
Rmmeさん(西3番街22在住)は土曜の朝庭で砂で満たされた小さなモスリン・バッグを見つけた。中には日誌が入っており、こう書かれていた。
『時速40マイルでニューポートを通過した。金曜の午後4時30分以来200マイル飛行中である。日曜日3時30分ににナッシュビルにあることを期待して頂きたい。”キャプテン・ペガサス”』」
1897年4月25日
テキサス州マーケル
何かのロープ引きずられているのが教会帰りの人々によって目撃される。
それはなんと鉄道の線路に引っかかっていた。
もう片方は上空にある「物体」に繋がっているようだった。
物体はかなり高度を持っていたので細部は判らないが、突起があったり光を発していたりする様子が分かった。
約10分後、ロープを伝って一人の「搭乗者」が降りてきて、ロープを切断した。
自由を得た「物体」は遠く北東に飛び去ったという。
その人は小さく、水色のユニフォームを着ていたようだ。
マイクダッシュ著「ボーダーランド」南山宏訳には、この話によく似た事例が出ている。
もっともそれは1211年、ケント州グレーヴゼントで大きな錨が落ちてきて墓石に引っかかり、乗組員が「泳いで」降りてきた話になっているのだが・・・
1897年5月5日
シンシナティ・エンクワイラー誌
「昨夜飛行船が上空を通過する様子が目撃される」
ガーフィールド・プレイスの多くの住民は、昨夜9時頃飛行船を目撃し、不思議なナビゲーターを観測したという宣誓供述書が作られている。彼らは興奮状態にある。Dr.Louis
Domhoff(ガーフィールド・プレイス112在住)は、「光」の見取り図を作製した。彼は卵形であるとそれを評し、色は赤であたかもカーテンで覆われているように見えた。中心および周辺部で光が漏れている。それはPriceHill
の方向から現れ南東の方角に向かったが、約5分で消えた。彼が接近できている間に約20マイルの距離を移動した。そのコースはジグザグで最初に上に上がりその後下へ上がった。コンダクターであるJ.C.Gaupelはモンマス通りの車道の上で、それを目撃している。W.J.クライン(ミッチェル・ビルディングの弁護士)、フレッド・ポーター(メソジスト教会の出版関係者)および多くの他のものが、「奇妙な航空士」を目撃したと発言している。
1897年5月6日
アーカンソー州ホットスプリングス
目撃者:保安官サンプターとマックレモア。
長さ約18mの強い光を発する「飛行船」を目撃。
搭乗者は国内旅行をしているという二人の普段着の男女
(ヒゲを伸ばした男と若い男と女一人との説もあり)
男は「熱い風呂に入りたい」とバケツで水をくみ、女は男の側でただ傘をさしてじっと突っ立ていた。
目撃者二人は船内へ入るように言われたが断った。
観光の後テネシー州ナッシュビルで解散すると語ったらしい。
飛行船がまぶしく光る理由について謎の男は「船の動力が非常に強力で、大量の熱を消費するからですよ」と答えたという。
(参考:濱田政彦著「彼らはあまりにも知りすぎた」他)
1897年5月18日
「ケンタッキー・ポスト」誌
ケンタッキー州コヴィントン
マイク・シェリダン(11番街在住))は、火曜の朝、スコット街のスクイヤー・ウィラー(荷車引きの意味もあるがここでは人名らしい)のオフィスを訪れ、「火曜午後11時ごろ11番街とスコット街の角の上空を『帆走』する『飛行船』を目撃した」という宣誓供述書を作ることを申し出た。シェリダン氏によれば「飛行船」は葉巻形の機械で、その「帆」を広げた様子は三角形のアウトラインを示した、発言している。彼の計算によれば、船は長さ約15フィートで、彼のわずか50フィート上空に存在していた。シェリダン氏は、その機械類の動く音を聞いたと彼が確信すると更に述べた。シェリダン氏は温和な中年男で、コヴィントンに長く在住している信頼できる人物で、決して葉巻中毒などではないという評判である。
翻訳ミスかもしれないが、火曜の午後に目撃した飛行物体の目撃報告を火曜の朝に書くのは無理があると思われる
1903年3月17日
オハイオ州ハイアラム
12歳の少女とその父親が、夜間、200フィートほど離れた上空にソーセージ形の“飛行船”が水平に静止しているのを目撃。
観察していると非常にゆっくり移動し始め、目撃者が見失うまいとして駆け出すと、一気に空気を抜かれた風船のように急加速して飛び去った。
1909年
映画「空中駆逐艦」公開
1909年5月18日
午後11時、レスブリッジと言う男がウェールズのケアフィリーの道路を散歩中、大きな円筒形の物体に行き当たる。
その物体のそばには、毛皮の上着と帽子を着込んだ二人の男がいた。
二人はレスブリッジ氏に気づくと、彼の判らない言葉で話し合い、円筒形の物体に乗り込んで飛び去った。
現場で発見された金属製の物体には「フランス製」の文字があった。
1909年5月20日付け ロンドン「デイリーメール」紙
(ジョン・A・キール著「不思議現象ファイル」南山宏訳より)
1911年
映画「スカイシップ」公開
1917年
映画「エアーシップ」公開
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