「はらやどり」に行きたい
「はらやどり」、「原舎浜(はらとのはま)」、江戸時代に「うつろ舟」あるいは「うつぼ舟」が流れ着いたとされる、常陸の国(現在の茨城県)のどこかにあったという浜辺です。
現在「中をとって」ということで、茨城県の海岸のほぼ中間に位置する大洗にはモニュメント(と遊具)が設置されているようです。
しかし「新・トンデモ超常現象56の真相」の中で、加門正一氏のレポートにより、ほぼ、「よくできた作り話」であることが紹介されてしまいました。
しかし、当サイトは作り話だろうが「作品の中の話」だろうが、ゆかりの地に行こうという方針です。
確かに「正しいUFO観光」とは言い難いかもしれませんが、そういう地道(?)な努力が何かに繋がるかもしれないのです。
無駄な場合が多いかも知れませんが。
「はらやどり」が無いなら、似た地名はないものか?
「うつろ舟」伝説を研究している方によると、「はらやどり」は「腹宿り」、つまり流されたのが妊婦であることを示しているという事のようです。
あるいは「うつろ舟」が母胎を表すのか・・・
茨城県の地図を見ていくと旭村の一角に「子生」(こなじ)という地名がありました。
「腹に宿る」→「子が生まれる」、間違いありません(そうか?)、とにかくこじつけではあっても第一候補地が見つかりました。
またその後ネット上を調べた所、同じ説を展開している方もいらっしゃいました。
という事で、早速行って参りました。

上野から「スーパーひたち」に乗車。
江戸時代の未確認飛行物体についての旅なんだからと「光り物」を購入。
このあたりいかにも偽物UFOマニアっぽい。
梅の季節だったが意外に空いていた。
この後切符を無くす(出てきたが)ハプニング。
のっけから何やってんだ?

水戸で鹿島臨海鉄道に乗り換え、鹿島旭駅から徒歩で子生方面へ。
歩くのは結構好きなので、苦ではない。
古くからの信仰も残っている。

子生弁天のバス停。
大洗駅から鉾田駅方面行きのバスが通る。
(結構歩くのでこちらの方がおすすめです)
お車の方は国道51号線をご利用ください。
(「51」ってのがUFOっぽい?)
すぐそばにコンビニあり、なんかちょっと古いゲーム機も置いてありました。

子生弁天は、正式には「厳島神社」。
由緒正しいのです。
「子生」の地名は享保2年(1717年)からのようで、「兎園小説」は文政8年(1825年)ですから、「馬琴らがここを知っていた」という仮説(妄想?)は時代的にも合います。
そのきっかけは「神鏡の碑文」だったとか。
実物が見たい! 「神代文字」だったかも???(笑)

子生の厳島神社の見所は、この見事な龍の彫刻。
とても大事にされています。

本家よりちょっと小さいのはいたしかたありません。
普段はあまり人もいません。
でも静かにすごせる良いスポットです。

恵比須に大黒?
こんな像も祭られて不思議な感じです。

さて、今度は浜辺に向かいましょう。
その途中にあったのがこれ。
現代のお釜?

こちらの方にも、昔からの信仰が残っています。
こういう祭り方をしているのは性神のようですね。

上手い具合に漁具の浮きが転がっていました。
描かれた「うつろ舟」の原型は浮きとして使われたひさご(ヒョウタン)、貝殻、お釜などのようです。

さすがに英語圏の船のものは見つからず。
しかし漢字もこうやってみると怪しい文字ですね。

このスチロールの玉、結構でかくて怪しさ抜群。
演出次第でこいつを「UFO」にできたかも?

この海の向こうから、江戸の後期、外国船がやってきていました。
その頃とはだいぶ変わっているのでしょうが、なんか浪漫を感じました。

現在の海岸にはこんなものばかり。
馬琴ならこれを見てどんな話を書いたことでしょう。

放り出されていた物体には、謎の言葉が書かれていた。
(もっとギャグっぽいのを探したのだけれど、無かった)

ここには日本の食文化も残っていた。

ウンモ星人キターーーーー!!
(度々見かけましたが、写真は初めて)

このような謎の乗り物も見かけられた。

このあたり「釜」の付く地名も多い。
確かにそれは茨城に限った事ではないのだが。
橋野昇一的こころで考えれば、この地で釜のような船が上に上がったと言うことだろうか?
色々妄想も膨らむ場所であった。
余談
「うつろ舟」事件について、ちょっと疑問に思っていた事がありました。
それは、「中にあったという文字」が、英語と言うより、いかにも「神代文字」と言われるモノにそっくりだった点です。
私自身「神代文字」は江戸時代あたりに作られた創作文字なのではないかな・・と思っているのですが(断言はできません)、それを前提に考えると、「うつろ舟」事件(良くできた嘘と言われる)と「神代文字」(こちらも良くできた嘘と言われる)は関係があるのではないかということです。
たとえば「秀真伝」(「ホツマツタエ」と読む。船内の文字に似た「ホツマ文字」で書かれているが18世紀末頃に初めて存在が確認されたようで怪しい)の「序文」は中臣氏の先祖の一人「鹿島命」(「カシマノミコト」と読む)によるものとなっているのは、茨城県と(偶然にも)関係ありそうだし、「うつろ舟」事件と同じ頃、「神代文字」について表した平田篤胤の「神名日文伝」(「かんなひふみでん」と読む、神字日文伝とも表記)が書かれているようです。
さてこの二つは果たして関係あるのか? ないのか?
そのあたりは色々あって私はちょっと怖くて手が出せませんが、アマチュア研究者の方々、調べてみてはいかがでしょうか?
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